頭文字DとガンダムUC

頭文字DガンダムUCのアニメの2作品を最後まで見て、ひとつの時代が終わったと思ったな・・・。

頭文字Dのファイナルステージ、2台のAE86の対決、勝負後に拓海が86に見せた感謝の気持ち、すべての
ものに神が宿るという八百万の精神というのか、何かそういうものを感じたかも。

一神教でなく多神教の考えや石ひとつにも神が・・という考えや自然を崇拝して自然と共に生きてきた日本人。

自然やものへに対しての気持ちや思いなど、縄文時代から日本人が受け継いでいる精神的なものは、
西洋人や他の国の人々には理解できないことも多いかもしれない。

頭文字Dに登場した車達は、日本や世界で輝いた車達だったけど、これほど「日本車」を描いた作品も他に
なかったような気がする。

AE86、S13、シビックなど5ナンバーサイズで価格も含め身近で購入しやすい車とそれに関わる若い連中の
話・・・気取ってないし感情移入しやすい作品で、俺は好きだったな。

あと、モノはモノとして単純に割り切った考えを、あまりしないというかできない日本人、何かそういうものも
キャラを通し描かれていたような気がする・・。

最後のシーンで、拓海の乗るインプレッサと86がすれ違うシーン、作品の時間軸を考えればありえない
シーンだったけど、それがまた良かったなって。

ガンダムUCはシャアとアムロの物語が、これでようやく終わったんだなあと思った。

初代の1作目は再放送を見て好きになったけど、あれからずいぶん長い時間が過ぎてしまった。

最近ふと思ったけど、シャアとアムロ・・・前世ではアムロがシャアの兄だったのか・・・と思ってしまった。

逆襲のシャアではアムロがシャアに対し「お前ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない !」と
言ってたけど、このセリフは今でも強烈に記憶に残っているな・・・・。

ガンダムという作品・・西洋人的な思考のまま宇宙へ上がったらこうなってしまいました・・・という風にも
見れるのかな ?